皆さん吉田松陰という人をご存じですか。この人は、海の向こうにある海外のことを知らなければならないと熱烈に思い、そして、命をかけて行動した、ここ山口県の人です。松陰は、日本に迫ってきたアメリカ艦隊に、忍び込み、船長に対して「自分をアメリカへ連れていって欲しい《と求めます。一つ間違えれば、上法侵入者として殺されても仕方なかったでしょう。そのようなリスクを犯しても、彼は、外国に行きたかったのです。なぜでしょうか?何が、彼にそのような行動をさせたのでしょうか?
私は、最初は日本の技術が母国のほうよりも進んでいるから、それを学び帰国して、自らの国を豊かにしたいと思ったからです。しかし、それだけならば、留学する必要はないかもしれない。それこそ、今の現代、知識や情報を得るための手段は、少なくないからです。
実際に留学して見たら、留学には、もっと大きな意味があることを実感しました。それは、留学とは、生まれ育ったところにじっと留まっていたのではなかなか理解できない異文化に直接触れ、異文化を体験することです。さらに言えば、そこに住んでいる人々の生き方や価値観だけではなく、もっとも重要な自分の価値観も理解する「貴重な機会また自分探しの旅《であるということです。
ここで、文化の一部である言い訳の仕方について、ある人の書いた面白い文章を読みましたので、それを踏まえて日本とモンゴルの間の文化の比較として紹介したいと思います。具体的には、何かをしようとして、それがうまくいかなかったときの言い訳の仕方についての話です。日本人は、とにかく一生懸命努力したのだ、ということを言い訳にする傾向が強いのだそうです。それでは、モンゴルではどうなんでしょうか、モンゴル人は、そのような言い訳はしません。努力してもできなかったのだから、その人にはもともと能力がなかったのだろうと周囲から思われてしまうからです。
つまり、モンゴル人には、自分に能力がないと周囲の人たちから思われることを強く嫌う傾向があるのです。一方、日本社会の価値観としては、成果よりも努力の方を評価し、失敗しても努力した結果なら仕方がないとして受け入れる傾向があります。これが、日本社会全体の今の発展につながっているのかもしれません。多くの人が努力するようになれば、全体の結果は良い方向に向かうだろうと思います。
このような価値観や文化の違いは、実際に留学してみなければ、なかなか理解できません。きっと、最初に述べた吉田松陰もこのような違いを自分で体験したかったので、本気で海の向こうに行きたいと考えたのでしょう。
私が日本に来て見つけた自分の価値観といえば、何ことにも一生懸命に努力すること、自分を信じること、親を大切にすること、先生を尊敬すること、家族を大事にすることです。留学の成果として得たこの価値観をこれからも大事にしようと思います。
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