私は夏休みの一週間をアメリカで過ごした。ラッキーなことに、現在、私が幼い頃お世話になった日本人の一家がニュージャージーに住んでいるからである。以前から海外に大いに興味があり、英語が好きな私にとって、このことはアメリカの文化や生活を知る、よいチャンスとなった。
知っていたのに、毎日驚いていた。右側通行、トイレで足が外から丸見えだということ、ピザやシェイクの半端でない大きさ。テロのせいもあって、街に迷彩服で機関銃を持っている人がいたり、人が大勢集まる所では必ずセキュリティチェックがあったことも印象的だった。近くの有名な観光地は、知人が全部案内してくれた。そんな中で、私が特に思ったことがいくつかあった。
まず、アメリカの人は「Excuse me」「Sorry」「Thank you」をよく言えるなぁと思った。例えば、擦れ違う時に服がかすっただけでも「Excuse me」私がぶつかったのに相手の人が先に「Sorry」ドアを開けておくと「Thank you」というふうに。言い換えたら、礼儀正しい、ということだ。それくらいアメリカではこれらのフレーズを聞いたし、自分も使った。私はすぐに日本のことを考えた。日本だったら、こんな場面でも何も言わない人もいるのに。また、表現の違いにも気付いた。日本では「ありがとう」と言うべき時によく「すみません」を使うように思う。恐縮していることを言っているのだけど、英語だと感謝のつもりで
「Excuse me」と言うと間違いになる。
「ありがとう」の方が感謝の気持ちが素直に表れていて言われるとうれしいので、私は日本でも「ありがとう」をたくさん使おうと思った。
次に、日常生活の便利さについて。ニューヨークではあらゆる場所で大きなゴミ箱を見かけた。あの人通りの多さの割に通りが意外ときれいだったのはそのおかげだろう、と感心した。
また、トイレに行くと、洗面所には必ず手をふくための紙フキンとゴミ箱が設置されていた。スーパーでは、ビニール袋か紙袋かを選べる。どこでも、ガンガン冷房が効かせてある。
一見、どれも便利で快適なようだ。しかし、これらの裏には多くの問題が生じているのが事実なのである。ゴミは分別されないままだし、紙フキンやスーパーの袋は使い捨て、冷房は効き過ぎて寒いのでいつも長袖を持っていないといけない。地球環境問題が叫ばれて久しい現在、世界有数のトップクラスの先進国のアメリカがこの問題に対して、こんなに無頓着だとは思わなかった。何でもスケールが大きい。だからこそ、環境に及ぼす影響も大きいのだ。それでも
大量生産・大量消費を繰り返し、この深刻な問題に対して取り組んでいる姿は見られなかった。
唯一、卵パックだけがリサイクルされている、と聞いた。たった卵パックだけ・・・・・・。
小さなことでも出来ることから、と普段からマイバックを持ち歩いたり、ゴミの分別をしたり、
牛乳パックを集めたりしていたことが馬鹿らしく思えてしまった。それと同時に、地球の寿命が徐々に縮まっているのでは、と本気で心配になった。
そして、国際平和について、国際連合本部を見学して、改めて考えさせられた。現在、国連には百九十一か国が加盟しており、本部の所在地はその全ての国々に属しているそうだ。その不思議な空間の内部には、各国からの贈りものが飾ってあったり、教科書で見られる会議場があったりした。中でも、戦争に関する展示が心に残っている。日本から長崎に落とされた原爆を浴びた像が贈られていた。核は二度と使われてはいけない、と訴える像の近くには、年々増加傾向の軍事費、繰り返される核実験の様子がパネルで示してあった。幼い頃から人を殺して
きた少年兵や、地雷で手足を失った子の写真もあった。以前、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんの『トットちゃんとトットちゃんたち』という本で、世界には大人の争いに巻き込まれ、犠牲になった子ども達が大勢いることは知っていた。でも、展示されていた、おもちゃに似せた地雷を見ると、女の子が親友だったぬいぐるみを抱きしめたらしかけてあった地雷が爆発した、という話が思い出され、悲しくなった。今でも絶えず続く内戦や武力紛争が、一日でも早く滅亡し、恒久の平和が訪れるよう、心から願う気持ちでいっぱいになった。
最後に、アメリカは「おかあさん」のような国だった。雄大で、色々な個性を受け入れてくれる、素敵な国だった。私が好きな、アメリカのバンドの双子が二人揃って「俺達の国って最高なんだ!」と言っていたことや、バスや電車などに母国を誇るように、国旗が描かれてあった意味が理解できた気がする。私も自分の母国日本を好きになって、誇りが持てたら、と思う。
これから英語をもっと勉強して、アメリカについての知識をもっと増やして、またいつか行きたい。 |