どうやって日本社会に溶け込むか |
王 文 |
日本に来て、もうそろそろ二年近くになる。この間に、学校やアルバイト先などで、いろいろな日本人と出会って、コミュニケーションができた。最初、わたしは日本人も中国人も、皆アジアなのだから、顔や外見などはほぼ同じ、違うのは言葉だけではないかと思っていた。もし、何人かの中に、中国人が一人だけいたとして、この人がなにも話さなければほとんど外国人だとは分からないだろうと思っていた。だから、もし自分が日本語がうまくなったら、日本社会に溶け込むのはそんなに難しくないことだと思っていた。
しかし、私は福岡や小倉に遊びに行った時、駅や飲み屋でいつも私が話す前に、「ご出身はどこですか、日本の方ではないでしょう」などの質問を受けた。相手から見ると、私はやっぱり外国人だった。いったいどこから、私が外国人だとわかるのだろうか?最初は服装の問題だろうと思った。そして、身近な日本人の服を良く観察すると、その日本人の服装も、私が着ているものとそんなに違いはない。多分、服装の問題ではないのだろう。
今年の2月に、偶然のできごとのお陰で、その答えが見つかった。それはとても単純なことだった。私が宇部駅で一人の女性とぶつかった時、その人はすぐ「あ、すみません。」といった。これは日本人としてはとても普通のことだったと思う。しかし、その時悪かったのは明らかに私の方だった。私は電話しながら、前をよく見ていなかったせいで、この人とぶつかったのである。その時、私ははっとして、私と日本人の違いは服装ではなく、日本語よりもまず中身が違うということに気付いた。中国ではこのようなことがあったら、悪い方が謝り、自分に責任がない場合は謝らない。その時から、私は中身から日本社会を観察して、勉強するようになった。
今回の福島大地震の時、電車が動かず帰れなくなった人が駅で避難する時、真ん中の通路には誰も座らず、みんな通路の両脇に座っているのをテレビで見た。彼らの表情の苦しさと秩序正しい駅は対照的できわめて印象的であった。
先日、私は福岡の博多に遊びに行った。スーパーの外で一人の年配の女性がたくさんの買い物をしていたので、私は車まで運ぶのを手伝った。最後に、「福岡の人は優しいですよね」と言われたとき、私は日本社会に認められましたと感じた。外国人の雰囲気がだんだんなくなったのかなあと思った。日本では相手の立場を大切にし、ことばの微妙な違いで空気を読むことも大切である。私もこれからも続けて日本の社会について勉強します。
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